石田三成の経営センス~三献の茶 おもてなしの心~
昨年の大河ドラマの『天地人』では、石田三成を小栗旬さんが好演していましたね。そう、関が原の戦いで、徳川家康と争って敗れた人物です。
実際の石田三成はどのような人物かは知るよしもないのですが、関ヶ原の戦いから約300余年を経た明治40年に、三玄院にある三成の墓を発掘、遺骨を鑑定調査した結果は「優男の骨格・頭形は木槌型・反っ歯・没年41歳相当」とのことで、戦国の武将らしくない風貌のようでした。事実、三成は戦場で全くと言っていいほど武勲を挙げていません。では、なぜ豊臣秀吉に召し抱えられ秀吉の天下統一事業の参謀役となったのでしょうか。
それは、石田三成が、経営センスに長けていたのではないかと思います。出身は、滋賀県長浜町、いわゆる近江商人を輩出した地域です。そのような商人にふさわしいエピソードがあります。
「長浜城主となった秀吉は、領内で鷹狩をした帰途、喉の乾きを覚えて、ある寺に立ち寄って茶を所望した。対応した寺の小姓は、まず、最初に大ぶりの茶碗に、ぬるめの茶を一杯に入れて出した。
喉の乾いていた秀吉は、それを一気に飲み干したあと、もう一杯たのんだ。
次に小姓は、やや小さめの碗に、やや熱めにした茶をだした。
秀吉が試みにもう一杯所望したところ、今度は小ぶりの碗に熱く点てた茶を出した。相手の様子を見て、その欲するものを出す、この心働きに感じいった秀吉は、その小姓を城に連れて帰り家来とした。
この小姓が、その後累進し、五奉行の一人、石田三成となったのである。」
喉の乾いている相手に、最初から熱いお茶を出すと一気に飲もうとして火傷するので、三成はまずは飲みやすい温めの茶をたっぷり出し、渇きが癒えた後は熱い茶を味わってもらった。
これを秀吉はいたく感心し、三成は召し抱えられることになるのだが、この逸話が「三献の茶」として後世に伝わっています。
リッツ・カールトンばりのおもてなしの心ですが、相手の状況に応じ、相手の立場になって考え、実行することは400年たった今でも学ぶところ大です。
