後継者

終戦の詔書

今日は終戦記念日です。
正午ちょうどに、サイレンがなり、テレビでは戦没者慰霊祭、高校野球もプレーを中止し、そして、私も、子ども達も黙祷をささげました。
 6月に税理士の大先輩である鹿児島のT先生から、「終戦の詔書」の内容を知っているかいと聞かれました。昭和天皇が、「玉音放送」で、公に終戦の宣言をしたのだということ。 「堪難きを堪え、忍難きを忍び・・・」の一文は、マスコミやドラマで知っていたぐらいでした。T先生から、現代訳にすると、今の時代にも活きた言葉として再び心に浸みるよと言われました。
 父は、中学校生徒(今で言えば高校3年)で、防空壕の基地内で働いていたときに、この「玉音放送」を聞いたそうです。何を言われているのかわからなかったそうですが、当時のラジヲの品質と、レコード録音、独特のイントネーション、漢文的な文書だと、理解するには難しかったのでしょう。
 ところが、T先生の言われるように現代語訳にすると、今の私たちにも十分理解できる言葉となりました。

 終戦に関する天皇の宣言
 私は世界の大勢と我が国の現状を深く考え、通常でない方法を使ってでも事態を収拾しなければならないと決意した。このことについて、忠実で善良な国民の諸君にお話ししようと思う。
 私は政府に命じ、アメリカ・イギリス・中国・ソ連の4国に対して、先にこの4国の出した共同宣言の受け入れを通告させた。
 もともと、国民が健康で安心して暮らせるように、また世界がともに繁栄していけるようにするというのは、天皇家が昔から掲げていた目標であり、私も常々努力していたことである。先にアメリカ・イギリスに宣戦したのも、我が国が滅ばないように、また東アジアが安定するようにと思ってのことであり、決して他国の主権をそこない、領土を侵略しようと思ってやったことではない。
 ところが、戦争はすでに4年目に入っている。その間私の陸海軍の将兵は勇敢に戦い、私の政府の官僚は懸命に働き、私の国民は国のために力をつくし、各々最善をつくしていたが、戦況は必ずしも好転していない。世界の大勢も我が国側に不利である。さらに敵は新たに残虐な爆弾を使って罪もない人々を多数殺傷し、戦争の惨害はまさにはかりしれないものになってきている。
 このまま戦争を継続すれば、しまいには我々日本民族の滅亡を招くだけでなく、人類の文明そのものを破壊しつくしてしまうことになるだろう。このようにして国民を滅ぼしてしまっては、私は天皇家代々の先祖の神霊に決して許してもらえないに違いない。
 これが私が政府に対しアメリカ・イギリスなどの共同宣言に応じるように命じた理由である。
 私は我が国とともに東アジアの解放に協力してくれてきた同盟国諸国に対して申し訳ないと思う。また、我が国の国民で、戦場や職場で非命に死んだ者、またその遺族のことを思うと体が裂けるような思いである。さらに、戦争で傷つき、戦災を受け、家や職場を失った人々をどう助けていくかということも、私は深く案じている。
 今後我が国の受ける苦難は並みたいていのものではないだろう。国民諸君の苦しみも私はよくわかっているつもりである。しかし時の運には逆らえない。私は耐えがたい敗戦の事実をあえて耐え忍び、将来のために平和な世の中を開こうと思う。
 私はこうして国を滅ぼすことは避けることができた。私は今後も諸君の忠誠を信頼し、常に国民とともにあるつもりである。今後、感情にまかせてむやみに騒ぎをおこしたり、自国民同士で争いあったりすれば、国の将来をそこない、世界の信用を失ってしまうだろう。そのようなことは決してしてはならない。
 これからは国をあげて、子孫を残し、日本が決して滅ばないという確信を持たねばならない。その責任は重く、道は遠いが、総力を将来の建設に傾けねばならない。人道と正義を重んじ、強固な精神を保たねばならない。そうすれば、日本の誇りを高く掲げつつ、世界の進歩について行くことができるであろう。国民諸君には、どうかこの私の願いを実現してもらいたいと思う。

下線は、私が引きました。
 そこでは、天皇家に代々の役割が、国民の健康で安定した暮らしの確保と世界平和であること明確にしていますので、そのような国民と天皇との信頼関係が成り立っていたこと。
また、後半は、日本再建に対する将来への意気込みを語っています。

 東日本大震災からの日本再建についても全く同じ思いです。



盛和塾第19回世界大会「経営哲学(フィロソフィ)を企業内で共有する意義」

先週7月5日と6日に、パシフィコ横浜で開催された「盛和塾第19回世界大会」に行ってきました。
日本をはじめ、米国、ブラジル、中国から3,400名を超える塾生の参加のなか8名の塾生の発表があり、最後に稲盛和夫塾長による「塾長講話」がありました。
当日、撮影禁止でしたが雰囲気を伝えたくて直前のインフォメーションだけとりました・・・。


 



今年の塾長講話のテーマは、
テーマ1「経営哲学(フィロソフィ)を企業内で共有する意義
テーマ2「困難に打ち勝つために」
という2つでした。ので「経営哲学(フィロソフィ)」についてふれたいと思います。
 
稲盛塾長は、ご承知の通り高齢で未経験の分野にもかかわらず、国の要請でJ ALの再建にあたっています。その際「フィロソフィー」と「アメーバー経営」のみを携えていきました。そして、再建開始から1年を経過した3月決算では売上1兆3622億円、営業利益1884億円という過去最高益(世界中の航空会社でトップ)を記録したのです。

なぜか?
その、大きな要因として、JALの社員に「フィロソフィ」を話していき、その理解が深まるに連れて、社員の意識改革が劇的に進み企業の体質が大きく変革したからであると話されました。まさに、「社員の意識が良い方向になれば、会社も良くなる」ということです 

 今回の世界大会のスローガンである「心を高める、経営を伸ばす」には、全従業員が、「フィロソフィー」を共有することが大事であり、理解して実践してもらうことを、京セラ、KDDIで実践し、今回はさらにJALでも実証して見せられたのです。

 社内でいろんな反発がされるかもしれないが、真に、幸せな人生を送ってもらうために、また会社の発展のためには必要と信じて 「フィロソフィ」を訴え続けなければと思いました。
フィロソフィーには大切な4つの要素があり、それは次のとおりです。
 

1.会社の規範となるべき約束事(社内ルール、モラル)
2.企業が目指すべき目的、目標を達成するためには何が必要か
3.企業にすばらしい社格を与える考え方(その会社の社格をあげる)
4.より良い人生を送るために必要な人生の真理

私も、経営理念の唱和や毎月の研修で話していますが、今回の出席を機に、
大分綜合会計フィロソフィーの作成と、幹部勉強会の開催を決意いたしました。

社長の習慣

「はとバスをV字回復させた社長の習慣(宮端清次著 祥伝社)」

はとバスをV字回復させた社長の習慣

を読みました。
宮端氏が社長に就任した1998年当時、倒産寸前だった「はとバス」を一年で黒字化を達成し、4年後には累積赤字も解消できました。

その再生のポイントは何か?を探りながら読みましたが、
宮端氏が、こんなすごい業績を可能にしたのは、最新の経営手法でしょうか?
それとも斬新なアイデアでしょうか?
違います。
社長が当たり前にやっていたいくつかの習慣でした。
経営者として、ごく普通に行っていた「習慣」が、社員の心を一つにまとめて再生を果たした。

1 「最初に目標を宣言する」
社長就任時「一年で黒字にならなかったら辞める」と宣言した。トップは逃げ道を作ったらダメだと思ったからだ。トップが本気の決意を示せば、社員も本気になる。何かを行う時は、早い時期にインパクトのある宣言を行なうべきなのだ。

2.「目標はシンプルであるべき」
立派な経営理念も、社員が覚えていない、実行もできていないではまったく意味がない。そこで「お客さま第一主義」「現場重点主義」「収益確保至上主義」という新たな経営方針を作った。
さらに、現場の社員には「お客さま第一主義」を徹底するようにして、新入社員でもすぐに覚えて、具体的な行動もイメージしやすくした。このように目標は、背伸びすれば届くものでなく、飛び上がって初めて届くぐらいのものにすべきだ。

3.「朝一番で現場に行く」
バスガイドや添乗員が挨拶するのは当たり前だが、氏は「顧客感動」のために、出発するバスに乗り込み自ら挨拶することにした。さらに、朝一番で現場に行くことで、運転手やガイド、添乗員に会え、400人もの乗務員の名前を覚えることができた。彼らの名前で呼んで「ありがとう」「頼むよ」と声をかけた。人が最終的にやる気を出すのは「自分が必要とされている」「役に立っている」という自覚を持てたときだ。だから、相手の名前を呼び、「ありがとう」ということが重要なのだ。

4 「組織を逆ピラミッドにする」
人を動かしたかったら、まずトップが動くことだ。社長が態度で示し、行動するからこそ、社員からの理解と協力が得られる。
その点でも、朝一番のバスに乗り込むことは意味があった。
それまでとは違った行動をとったことで、社員は「はとバスも変わるかもしれない」と思ったようだ。
私の行動は、すべて私の「本気」を社員にわかってもらうための習慣だったのだ。

習慣ですから、早起き、歯磨きと同じで、毎日ごく当たり前にやっていたことです。
そういうことでも、徹底的にやれば、ものすごい業績をあげることが可能なのです。

経営ノウハウを求めようとする人の会社ほど、掃除、挨拶といった当たり前のことができていなかったりしますね。
コツコツ自分自身の習慣を磨き上げることで、社員がついてくるのだ。
がんばろう。

 5 「社内でのNGワードを決める」
6 「 お客さま第一主義を徹底する」
7 「苦情には社長自ら万年筆で返事を書く」
8  「選択と集中」よりも「絞り込み」

 その他以上の習慣でした。


マネジメントスクール

昨日は、財団法人 大分県産業創造機構の「第35期マネジメントスクール」で、「経営体質を強化する会計」をテーマにお話をさせていただきました。
このマネジメントスクールは昭和53年から大分県内企業の後継者、中間管理者を対象に開催されています。
私も20年前は生徒として受講しましたので、感慨深いものがあります。

最初に、この研修の趣旨を伝えました。

1.「全員経営」に徹すること。
全員野球ということ言葉がありますが、厳しい環境の中では、経営も全社一丸として「全員経営」に徹する必要がある。

2.「計数感覚」を身につけよう。
計数感覚とは、経営目標を数値化し、目標達成の基準を作れたり、行動が財務数値にどう影響するのか関連づけて考えられることです。

3.「管理会計」が会社を強くする。
そのためには、経営におけるさまざまな経営意思決定のツールである「管理会計」をマスターしましょう。意志決定は「社長」でなくても、たとえば、「部長」が、社内で加工するか外注にするか、また売値をいくらにするかなどの意思決定をしています。また「営業」は、いくらまでなら値引いていいかなどの意志決定をします。そのように、「社長」だけではなく、すべての「社員」が経営上の意志決定に係わっているのです。
今日参加された皆さんが、「管理会計」を理解して、計数感覚が磨かれたら、計り知れないほど会社の業績に貢献できるでしょう。

皆さん2時間しっかり聞いて、演習してもらいありがとうございました。

100年企業

今日は、株式会社小野商店(宇佐市安心院町)の創立100年記念式典に出席しました。
1911年(明治44年)の創立、といってもイメージがわきませんが、ちょうどNHKで放映していた「坂の上の雲」の時代です。日露戦争が終わって5、6年して初代の小野ゴンゾウさんが19歳で商売を始めたそうです。
昔、企業の寿命30年説という本がありましたが、その後時代の変化はめざましく、もはや企業の寿命(盛期)は30年どころか、10年は確実に切ったと見られています。

そういった中で、二代目の小野清美さん、そのあとを次いだ小野憲一会長、四代目の小野太一郎社長の先を見据えた経営感覚と、各奥さまが販売や経理でしっかりお店を守ってきたおかげで、見事に100年の誕生を迎えられました。

憲一会長、太一郎社長の挨拶を聞きながら、どうしたら100年も栄える会社になるのか考えていました。 
そして、次の3つの条件が必要だと気づきました。

1.会社の使命感(経営理念)を持っているか
小野商店は「私たちは、お客様のお役に立ち、喜んでいただき感謝していただける企業を目指します」を経営理念に掲げています。社長はじめ社員さんからも「お客さんのため」「社員のため」「地域のため」「感謝している」という言葉が出てきます。いざという時に、自分の判断で行動をとれるかどうかは日頃の使命感(経営理念)が浸透しているかどうかによります。今回の震災では、暗闇でも電卓をたたいて精算をしてでも、お客様に必要なものを提供した現場の従業員さんはたくさんいたとききます。

2.社員と経営者が一体となっているか
驚いたのが75名の社員さんのうち6割の45名が10年以上の勤務(30年以上8名、20年以上14名、10年以上23名)だったことです。 憲一会長から、スライドで昔からの慰安旅行の写真を見せてもらいましが、日頃からアットホーム的なお付き合いが一体感ならしめ、定着率を良くしているのでしょう。自分の人生を、その会社に賭けてくれる社員が多くいる経営者は責任は重たいですが、幸せ者だなと感じました。

3.不易流行
太一郎社長が、挨拶の中で「お客様のため、社員のため、地域のための理念は変えないが、時代の変化に応じてやり方は変えるという不易流行の精神で今後も経営する」と言われましたが、まさに 、過去の成功体験に縛られず変化を恐れない「変化への対応」に尽きます。小野商店も、当初は日用品雑貨の卸問屋として営業してきたわけですが、時代が変わり大型スーパーの影響を受け、小売店が衰退して卸問屋も必然的に衰退していく中で、当時の清美社長と憲一専務が大英断をして小売業に進出し現在のスーパーに発展させてきました。まさに、時代の変化に対応した成功事例です。

懇親会も参加させていただきましたが、とにかく社員さんが明るく、「どうしたらお客は喜んでもらえるか」を現場で実践している方々でした。
また、そのようなすばらしい会社の税務会計を43年間担当させていただき、感謝しています。

国民一流、経済二流、政治三流

 この連休に鹿児島に墓参りに行きました。
私の両親は父が南九州市川辺町、母が霧島市横川町の出身です。
川辺町の父の親戚と墓参りの後、隣町である知覧町の「知覧特効平和会館」に行ってきました。

17歳から29歳ぐらいまでのまだこれからいろんな人生経験を積めたはずの若者が、国のためとはいえみすみす命を落としていくのは悲劇です。
その遺書を読んで、軍国少年ではなく、今の若い世代と変わらない青年達でした。
家族に宛て遺書は、未婚者はほとんどが母親宛でした。
父親は、建前でモノをいいますが、母親はあたたかく包み込んでくれる存在なのでしょう。
その多くの遺書の中で、一番心打たれたのが、
昭和20年5月4に戦死した宮城県出身相花信夫少尉(享年18歳)

母を慕ひて
「母上お元気ですか。
永い間本當に有難うございました
「我六歳の時より育て下されし母
継母とは言へ世の此の種の女にある如き不祥事は一度たりとてなく
慈しみ育て下されし母、有難い母 尊い母
俺は幸福だった
ついに最後迄お母さんと呼ばざりし俺 幾度か思い切って呼ばんとしたが
何と意志薄弱な俺だったらう
母上お許し下さい
さぞ淋しかったでせう
今こそ大声で呼ばして頂きます
お母さん、お母さん、お母さんと」 

 幼いときに実母が亡くなり、実母への恋しさあまり、継母にはなかなか面と向かって「お母さん」と呼べなかったのでしょう。
継母には感謝しながら、実母のことも忘れてはならないという葛藤を 「なんと意志薄弱なオレだったろう。」と自分の責任として・・・。
非常に優しい青年だったのでしょう。

彼らは、私の子供達と同世代です。
東日本大震災で被災した若者達や、それを支援する若者達をみて、「この日本も見捨てたもんじゃないな」と心強く思ったおっさんも多いはず。
70年前の若者も、今の若者もおなじ遺伝子が流れていて、スイッチがはいったのです。
しかし、二度と人災である戦争を起こしてはいけないと強く感じました。

今回の震災で、世界は、日本の国民を超一流と認めました。
自衛隊員は、被災された方々を優先するため、自らは冷えた缶詰、レトルトやパンで過ごしいてます。
また原発現場作業員も同様の状況で働いています。
本当に、個々の人々はすばらしい。

従来から「経済一流、政治二流」と言われてきましたが、いまや残念ながら「国民一流、経済二流、政治三流」です。
なんとか、経営者、政治家も国民のレベルにあげないといけませんね。

ドラッカーの石工~事業目的の明確化~

27日の盛和塾大分例会で、三笠産業株式会社の佐伯誠社長の講演を聞きました。その話のなかで、「経営理念・方針を、社員に対してどう伝えていくか」との質問に対して「社長は、社員に、いま作っている製品が、世の中に出てどう使われているかわかりやすく説明しないといかん。たとえば・・・・」と、ドラッカーの「3人の石工」の逸話を紹介しました。

ある通りがかりの人が、3人の石工に「何をしているのか」と聞いたときに、

一人目は、不機嫌に「これで暮らしを立てているのさ」と答えた。

二人目は、手を休めず「国でいちばん上手な石切りをしているのさ」と答えた。

三人目は、目を輝かせて「教会をつくっているのさ」と答えたそうです。


同じ仕事をしていても、その人の目標によって、マインド・モチベーションが異なるとの逸話です。皆さんの会社では、どのタイプの社員が多いですか?

身近な例では、プロ野球のヒーローインタビューで、「個人の成績ではなく、チームに貢献できてうれしい。優勝目指してがんばります」と選手が答えています。そのような選手が多いチームは強いですね。

三人目のタイプが少なければ、それは社長の責任です。
社長は「教会を建てる」という事業目的・意義を明確にして、共有化させなければならないからです。

ドラッカーは「事業が成果をあげるためには、一つ一つの仕事を、事業全体の目標に向けることが必要である。」といっています。

佐伯社長は、事業目的を、社員に繰り返し話をして伝えていっています。

知り合いに話をしたところ、実はもう一人石工がいて、
四人目は、「この国の文化、文明をつくっているのさ」と答えたとのこと・・・・。

私も事業目的・意義を明確にして、意識の高い組織のトップを目指します。


余人を以て代え難し

 昨日のモチベーションアップの具体的な話として、下記の話を思い出しました。

 TKCの飯塚真玄社長(当時)が、経革広場のインタビューで、YMK制度(余人を持って代え難しの略)を紹介していました。


「会社のミッションを各自しっかりと受け止めて、自分たちの仕事は社会に貢献しているんだという実感を持つこと。つまり会計事務所が成長する過程で、お客さんである中小企業も黒字化したり、格付けしたり、格付けアップしたりする。そのことに喜びを感じでほしい。
それはまさに自利利他であり、この考え方がすべての社員に浸透していれば、「自分からやる気にならなければならない会社だ」と思ってもらえるはずです。
自分たちがいかに関与先企業に貢献しているか、企業経営者に誉められた体験がなければ、鼻先にニンジンをぶら下げるようなことをしても意味はあまりありません。
誉められた体験さえすれば、モチベーションは自然と高まっていくはずです

。」

 経営者として「環境要因」は改善しなければなりませんが、鼻先のニンジンだけでは、長続きしません。
社員がやる気を高めるのは、「動機付け要因」を得たときですので、日頃の仕事の仕組みとして「
仕事の内容への納得」「仕事の社会的目的」「仕事を通じての達成感」「上司・同僚に認められる」「仕事を通じて知識能力・人間的成長」をはかっていきます。

モチベーション

 いろんな社長さんと話をしていて、共通した悩みは、ほとんど商品力、お金、労務の3つに集約されます。
とくに、
どうしたら社員のモチベーションを上げられるのかが永遠の課題です。

 この社長の課題に、取り組んだのはフレデリック・ハーツバーグであり、1966年に「動機付け衛生理論」として、人間のモチベーション要因に関わる理論を提唱しました。ハーツバーグは、人は満足を求めて行動を起こすもの(動機)であるとし、仕事上の満足感に影響を与える10個の要因をあげ、アメリカ・ピッツバーグにおいて、200人の技師・会計士を対象に調査をしました。

左図の右上が、「動機付け要因」と呼ばれ、左下が「衛生要因」といわれます。
左右各箱は右にいくほど当該要因が積極的満足感を招きしやすく、左にいくほど不満足感をもたらしやすことを示し、各箱の上下幅が大きいほど当該要因が積極的満足感(または不満足感)を持続させやすく、上下幅がせまいほど持続させにくい(大体2週間以内)ことを示したものです。同図を見ると、「動機付け要因」(満足要因)は、達成、承認、仕事そのもの、責任、昇進です。また、「衛生要因」(不満足要因)は、会社の政策と経営、監督技術、給与、対人関係、作業条件の5要因です。



動機づけ要因(満足をもたらす要因)として
•達成感
•承認
•仕事そのもの
•仕事への責任
•昇進

衛生要因(不満足をもたらす要因)として
•会社の方針
•上司の監督
•給与
•人間関係
•労働条件
•作業環境

 結果として、人間がやる気を高めるのは、「動機付け要因」を得たときで、「衛生要因」が得られてもやる気を高めないことがわかった。また、衛生要因が得られてもやる気を高めることはないが、得られないとやる気の低下を生じさせることがわかりました。確かに、給与や労働条件を改善しても、一時の不満は解消しても、長続きしないといわれます。
 したがって、モチベーションを上げるには、「動機付け要因」の充実、すなわち、仕事の内容についてどれくらい納得しているか、仕事について「社会的目的」を深く認識し、仕事を通じて「達成感」を味わえること、また、結果を上司・同僚に認められること、仕事を通じて知識能力や人間的成長を伸ばす仕組みがあることが必要です。

善の循環

今日は、当事務所の経営セミナー「大縁利他の会」で、株式会社ざびえる本舗の太田清利社長に「銘菓復活に賭ける、第二の人生」の題で講話をいただいた。

定年まで、あと5年というとき勤めていた会社が突然倒産し、そこから銘菓復活のため壮絶な再生のための戦いが始まるのです。
私は、新しく会社を設立するにあたって奇跡が3回もあったのではないかと思いました。

①設立前には、偶然にも「さびえる」の商標権が前社長が個人保有であったので、管財人から外部への売却を免れた。
②設立時の資本金が不足したところ、長年勤務した70歳の元事務員さんが自分の老後資金として貯めていたお金を、何も保証もないのに出してくれた。
③設立後、毎日残業が長時間に及び疲弊していたところ、元パート従業員7名が手弁当で駆けつけてくれた。

このように、協力者が次々と現れて、見事再生を果たされました。
なぜ、太田社長の周りで、そのようなことが続いたのでしょうか?


倒産時、お世話になった得意先へお礼 に回ることにより、お客様から励ましの声を聞いたこと。
②会社復活は、自分のためでなく、人のために何か役に立つのではないかという大義名分があったこと。

このように太田社長の動機が「善」だったから、その行動や考えに共感する人々が次から次へと現れ、「善の循環」が始まったのでしょう。

今回の、東日本大震災 においても、復興に向けて、世界の人々による「善の循環」が始まろうとしています。私たちは、多くの犠牲者のためにも、すばらしい世の中にしないといけません。
太田社長の話を、震災後の復興と重ねながら聞かせてもらいました。